シネマ感覚思考 / cinema-feel-think

1つの記事内に基本、映画紹介パートと、ネタバレありパートに分けて記載しています。お見知り置きくださいませ。



映画感想:『ブラック・クランズマン』&"偏見"に纏わる論

 

 

 

 

Do the Right Thing.

 

 

 

 

 

 

『ブラック・クランズマン』

             原題:BlacKkKlansman

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ
  アメリカ合衆国を二分した南北戦争時に、奴隷制を掲げ、アメリカ連合国を名乗った南部地域。その地で、白人こそ至上という考えのもと、人種差別を行う団体"KKK"が生まれ、未だに存在している。時は1972年、白人しかいない警察署に初のアフリカ系の警官が誕生した。これは、そのブラザーが、"KKK"に潜入捜査するという、ありえない、マジやべー真実に基づいた物語。


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感想
  ふっ飛ばされました。観終わった後、放心してなかなか席を離れられませんでした。久しぶりに味わった感覚です。スパイク・リー監督の明確なメッセージにやられてしまいました。
  劇中、アフリカ系の主人公を"KKK"が受け入れるという、笑ってしまうような、とある展開には、"KKK"に対する呆れと、主人公に対する、よくやってくれました感を味わえる本作。"人種差別"、"KKK"という文字が並ぶと重さを感じますが、物語自体はドラマ的に楽しめる仕上がりになっています。そのドラマをベースに、スパイク・リー監督は要所要所で強烈なメッセージを叩き込んできます。その演出や表現方法はさすがすぎます。今こんな方法を取れるのはスパイク・リー監督だけじゃないかと思ってしまいます。凄いです。
  "KKK"が未だにあるという事実、現在との共通点、スパイク・リー監督からのメッセージ、観るならまさに今、という映画ではないでしょうか。
  祝、カンヌ国際映画祭「グランプリ」、アカデミー「脚色賞」受賞!

 

 

 

 

 

 

 

おすすめです!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


"偏見"に纏わる論

 

  ここは、作品に纏わる事象について取り上げて、先端知識をシネマ感覚思考なりにまとめるコーナーです。今回は"偏見"について取り上げます。学問分野で、"偏見"はいくつかに分類できる事が示唆されており、その分類をここでは紹介したいと思います。
  本作に登場する"KKK"は、白人至上主義を掲げているため、人種差別を行なっているのですが、他の集団への差別も行なっています。主に、アフリカ系の人々に対する人種差別を行なっているというイメージがあると思いますが、白人至上のため、自分たち以外の人種全てを攻撃しています。日系を含むアジア系然り、ラテン系、インド系、中東系、そしてユダヤ人などなどが攻撃対象の人種差別団体です。また、"KKK"の構成は男性が中心となっており、女性差別が行われています。本作内でも、配慮しているように見えて、思いっきり差別的な事をしている描写が伺えます。
  そして、そんな不利益な扱いや排除行為である差別の根底にあるであろうものが偏見です。

 

 偏見とは、特定の集団やその構成員に対する固定的な態度を指す概念であり、集団をベースとして個人を判断する事である。

  引用:「最新心理学辞典」,平凡社,2013

  

人種による偏見は、アメリカの研究で、2つに分類できる事が分かっています。

 

1つ目が"古典的偏見"で、

「対象の集団は道徳的および能力的に劣っている」

という信念に基づくものです。典型的な偏見といった感じですね。「あいつらは犯罪者ばかりで、バカばかりだ」みたいなものです。

 

2つ目が"現代的偏見"です。これは、個人的には"現代的偏見"というより、"定型論的偏見"と呼んだ方がしっくりくるような、4つの論理展開から成る偏見です。

 

「①対象の集団に対する偏見や差別は既に存在しておらず、

②存在する格差は不平等からくるものではなく、自身が努力をしないからであり、

③それにもかかわらず過剰な要求を行なっており、

④本来得るべきもの以上の特権を得ている」

という信念に基づく偏見です。

 

だから、逆に我々が不利な立場に追いやられていると、そういう主張に結びつくような偏見なのかなと思います。誰しも似たような事を聞いた覚えがあるのではないでしょうか。


  今回、この2つの偏見を紹介したのは、『ブラック・クランズマン』で"定型論的偏見"にかなり似たような事を"KKK"が主張しているからです。"古典的偏見"は言わずもがな、うんざりするほど台詞として出てきます。"定型論的偏見"は①に言及があり、逆差別を受けているといった主張がなされています。当然ですが、これらの主張に裏付けはないものであり、正当性はないもので、科学的に偏見として分類され得るものです。


  この"古典的偏見"と"定型論的偏見"は、人種による偏見だけでなく、女性や同性愛者に対しても見られるものである事がアメリカの研究で指摘されています。アフリカ系の人々や女性、同性愛者の地位が徐々に、徐々にアメリカで改善されてきている事を考えると、この"定型論的偏見"は、対象の集団の地位が改善された場合に普遍的に見られるものである可能性があります。


  日本においても、在日コリアンに対する"古典的偏見"と"定型論的偏見"について研究が行われた例があります。このような偏見や差別に関する科学的な研究は、アフリカ系の人々やユダヤ人に対する偏見や差別に関する研究によって発展してきました。アフリカ系の人々やユダヤ人が長らく受けてきた不平等や迫害の歴史から分かったことです。その苦しみから生み出された知見を活かし、理論武装して、理不尽な偏見や差別に対抗していきたいですね。


  本作では、先程紹介したアフリカ系の人々やユダヤ人、女性に対する差別が描かれていましたが、同性愛者に対する蔑称も幾度も登場しています。アフリカ系の人々やユダヤ人、女性に対する差別への応答はきっちり作品内でしているのですが、同性愛者に対する応答が仕切れていなかったのは、この作品の数少ない残念なところでした。もったいないですよ、スパイク・リー。

 


参考文献:「レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット」高史明,勁草書房,2015

 

 

 

 

 

 

 以下、ネタバレ全開になります。↓↓↓

 

 

 

 

 

 

→ネタバレ感想(以下、ネタバレを含みます。)

 

  映画批評を交えた冒頭から始まる"KKK"の主張に、うわぁ、と、酷い内容のつるべ打ちにポカンとしてしまいました。何というテンポ感、もうここから、スパイク・リーのペースに呑まれていました。
  そして、面接で限られた支援しかできないとかまされ、資料室であからさまに「カエル」と罵られる主人公ロン。しんどさを感じる場面に、空手のシャドーでやり返すといったようなバランスは、映画全体を通じて取られていました。これによって、この作品全体の観やすさが確保されていたなと思います。


  それにしても、"KKK"サイドから出てくる話の内容の酷さには閉口してしまいます。ホロコーストの否定、同性愛への揶揄、「緑の芝生に黒い影」といった暴言、はっきり現代ではあってはならない発言なのですが、未だにどこかしらで聞いたことのある言葉たちでもあります。それを考えると頭が痛い。また、言葉では気にかけている様子を示唆していましたが、女性に対する振る舞いにも閉口してしまいます。まず"KKK"の集まりには女性は参加出来ないようですし、重要であろう儀式にも参加出来ない排除構造をとっています。まるで世界は男性だけのものであるかのような振る舞い、これも残念ながら未だどこかしらで見聞きする事態に、嫌気でいっぱいになります。また、今回驚いたのはトランプが口にする"偉大な国に"、"アメリカ・ファースト"という言葉を、"KKK"が口にしていた事でした。くらくらするようなこの事実は、アメリカの人々にどう映るのでしょうか。


  一方で、アフリカ系の人々を鼓舞するような演説、文化の入れ込みに力が入っている本作。1970年代前半から生まれ、アフリカ系の役者で登場人物を固めた"ブラックスプロイテーション"の一連の言及は、批評的であり、参考になります。クワメ・トゥーレの演説での「We are beautiful.」といった言葉の数々には勇気づけられます。
そして、後半の山場にて対比される、"ジェシー・ワシントン"へのリンチの語りと"KKK"が熱狂する『國民の創生』、"ブラック・パワー"と"ホワイト・パワー"、その熱量に圧倒されました。ここが、本作のハイライトだと思っていたところに、最後の最後で畳み掛けてくるニュース映像の数々。40年前の物語と現在地が鮮やかに交差し、モノクロになったアメリカ国旗が観客に訴えかけてきます。Do the right thing"、"正しいことをしよう"と。この作品を受け取った観客に、突きつけられた現実へ、それぞれがどう応答していくか、それが、問われています。

 

 

 

 

 

 

アカデミー作品賞『グリーンブック』を巡る問題


  非常に混戦だった今年のアカデミー賞で、最高賞である作品賞を受賞した『グリーンブック』。内容は、アフリカ系のピアニストが60年代に南部をツアーし、護衛として雇った粗野な白人との交流を描くというものでした。『グリーンブック』受賞に対し、スパイク・リーは受賞式を退場しようとする形で抗議の意を示しました。
  これに関しては、両作品を鑑賞して、スパイク・リーが不満に思った点が分かりました。『ブラック・クランズマン』でアフリカ系の視点から差別を描き、アフリカ系でいる事を鼓舞し、「アフリカ系である事から逃げるな」「ウンガワ(団結せよ)、ブラックパワー」という形で人種差別に立ち向かったスパイク・リー。それに対して、『グリーンブック』は、白人貧困層の主人公が、ハイクラスなアフリカ系ピアニストの困難を手助けし、白人の主人公も感化され、意識を変化させていくというもの。その中で、ハイクラス故にブラックカルチャーに馴染む事のできなかったピアニストは、アフリカ系でいる事ができなかった人物でもありました。こういった『グリーンブック』の構図は、『ブラック・クランズマン』を撮ったスパイク・リーにとっては批判の対象になるものでしょう。そのため、スパイク・リーの反応自体は納得できるものだと思います。
  確かに『グリーンブック』は白人サイドから見て、白人がアフリカ系を救い、お互いに影響を受け合うという側面があり、批判も然りではあります。ただ、主人公はイタリア系の貧困層で、マジョリティの中のマイノリティでもあります。そんな主人公が、マイノリティの中のマイノリティであるピアニストと交流するという構図は、偏見に対して1つの応答になっていると、個人的には思います。



 

 


演出についての雑記

  ここからは、本作の気になった演出についての雑記です。

 

・「We are beautiful.」っていい言葉ですね。

 

・"KKK"に所属する1人テンポ感の悪い役を演じていたポール・ウォルター・ハウザーさん。『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』に引き続き、こんな感じの役をやらせたらたまらない人です。後半、主人公に見せる「あ〜、あ〜、あ〜」という脅しなのか何なのか分からない言葉の感じ、意味わからなすぎて最高でした。

 

・クソ警官のランダースをきっちりとっちめるくだり痛快でした。良い!

 

・アクセントで白人かアフリカ系か判別できるというデューク大魔法使い。最後のアーラ(are)を使った反抗も痛快でした。良い!

 

・「録音に!」という言葉で互いを賞賛し合う主人公チーム。実際、現実でも自分の身を守るために録音は有効な手段です。録音した音声を公に公開するのは色々と条件が必要ですが、録音自体は妨げられる理由はないので、現実でも使っていきたいものです。

 

・作中繰り返された同性愛者への蔑称について、偏見に纏わる論で触れましたが、作中、一応の応答として、「ボウイ好きだけどな」的な台詞がありました。ありましたが、それで回収しきれているとは思えないので、もう少し何かしらシーンなり、台詞なりが欲しかったなと思います。


・この映画で突きつけられた観客への投げかけ。社会に対して大きな変化を1人で起こせずとも、身近にある些細な偏見や差別に、「本当にそうかなあ?」と一言口にするだけで、変化の兆しを1つずつ増やせるのではないでしょうか。そうやって、映画から受け取ったものに、少しでも応答していきたいです。

 

 

 

 

 

関連リンク

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」

宇多丸さんによる『ブラック・クランズマン』映画評。以下リンクです。↓↓

(アプリ"ラジオクラウド"にて聴けます。)

 

 

 


以上、『ブラック・クランズマン』感想&"偏見"に纏わる論でした。ありがとうございました。