シネマ感覚思考 / cinema-feel-think

1つの記事内に基本、映画紹介パートと、ネタバレありパートに分けて記載しています。お見知り置きくださいませ。



映画感想:『氷の季節』

 

 

 

 

全て、あんたの望んだ通りか

 

 

 

 

 

 

 

『氷の季節』
英題:Before the Frost
   原題:Før frosten

 

 

 

 

 

 

あらすじ
  デンマークの貧しい農村地帯。イェンスを家長とする4人の一家では、日々の食糧がぎりぎりとなり、冬以降の生活の目処が立たなくなった。大地主として、教会では上の立場だったはずなのに、今やスウェーデンからやってきた新参者に追いやられる。もはや頼みの綱は、娘を結婚させ、相手の家と共に何とか食いぶちをつなぐしかないのか。では、誰と結婚させれば。

 

 

 

 

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感想
  第31回東京国際映画祭コンペティション部門、「審査員特別賞」「最優秀男優賞」受賞作品。
  厳しさを伴った美しい映像の中で、食べて生きていくために、困窮から抜け出すために、もがいたイェンス。その選択が引き起こす声にならない苦しみに、呑まれました。
  先の展開がある程度見通せるにも関わらず、きっちりと観客を展開に乗せていく、その手法に魅せられてしまいました。時代背景を基にした説得力のある画作りと、シンプルだが普遍的な出来事の描きこみによって、厚みのある物語になっていました。最後の場面に震えます。

  シネマ感覚思考的、第31回東京国際映画祭コンペティション部門、"脚本賞"!!!!

 

 

 

 


おすすめです!!!!

 

 

 


以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ感想

  多幸感のあるはずの結婚式で、娘シーネがイェンスを踊りに誘い、陽気な音楽がかかる中、2人でダンスをする。そして、イェンスの耳元で囁かれるシーネの「ありがとう」。
  この一言に、打ち震えました。本作の全てを、この場面、この一言に持っていかれてしまいました。シーネの多幸感とイェンスの背負ったものの対比、幾重もの出来事が集約された、恐ろしく、苦しく、堪え難いものを感じました。
この場面を思い出すだけで、もうお腹いっぱいです。この場面のためだけに観る価値があると思います。凄い。

 

 

 


  私は、監督の意図とは違ったところでこの映画を観ていました。イェンスが如何に今の状態から脱出するか、上手く逃げられるか、という視点です。


  冒頭のイェンスの状態は、一家の長を強いられ、3人の家族を養わなければならず、困窮している。先代から引き継いだ大地主ではあるが、社会的な場である教会での立場も既に危うい、というものでした。もう、できれば隠居したいと。
いよいよ食糧が持たないと分かった時、娘シーネの結婚が、自分の立場を崩さずに状況を打破する手段だとイェンスは思ったのでしょう。そして、あわよくば隠居もできると。
  最初の相手は娘と両想いの隣人。しかし、どちらもぎりぎりの生活をしているため、望み通りの生活にはならず、2人の甥を他の家へ奉公に出さざるを得ない。そのため、スウェーデン人の商才に引かれた事もあり、娘の思いを考えずに結婚を決めてしまう。
  娘を犠牲に、望むものを手に入れたイェンス。日々の食糧があり、土地も守れ、立場も守れ、家長から解放され隠居生活にも入れる。そう思っていたが、末っ子を失い、もう1人の甥も失い、殺人の片棒を担がせられる。愛牛も失い、大事なものをことごとく失ってしまったイェンス。
  脱出した先には、裕福な生活と社会的立場、娘の「ありがとう」が残ったが、2人の殺人の記憶と、これからの搾取への参加がつきまとう。結婚相手に隣人を選んでおけば、一緒に暮らせずとも甥2人は死なず、搾取への参加をせずに、裕福ではないものの暮らしていく事が出来たのに。
  娘のためではない、自分のための脱出は、大きな犠牲を伴った、不穏な生活への道でした。

 

 

 

 

監督によるQ&A書き起こし


  東京国際映画祭にて、監督のマイケル・ノアーさんが登壇され、Q&Aが開かれました。その際の公式レポートがHPにあるのですが、抜けている部分や明確に誤っている部分があるため、訂正と補足をしておきたいと思います。

 


以下のリンク先の訂正部分
・司会の最初の発言 : ×洋装→○様相
・2番目のQ : ×残った両親→○イェンスの残った良心


  以下、上記の公式レポートに書き起こされていなかった質問と、所々誤りがある上記の最初のQを補足したものになります。

 

Q主人公と姑が対照的に見えたが
マイケル・ノアー監督:

  姑役の方は、デンマークで有名な方で、主演のイェスパーとも共演したことがあった。
  (質問に対して)イェンスも姑もどちらも人生の終わりに近づいていて、お金ってどのくらい重要なのだろう、お金よりも重要なものってあるんじゃないか、と考えているのが2人のお互いの共通点。
  立場的には姑の方が上流階級で強く、どちらの立場が強いかを見せるために、靴紐を結びなさいと、イェンスに跪かせるシーンがある。ストーリーとしてはセクシャルなものはないけども、男女の立場の逆転、男女のヒエラルキーの逆転みたいなものも描いている。付け加えると、娘のシーネは、恐らくファザコンで、グスタフはマザコンなのだろう。


Q:作品を拝見してデンマークの19世紀の小説のような要素が散りばめられているのかなという印象を受けました。そういったところは意図をされたのでしょうか。
 
マイケル・ノアー監督:

  私は歴史を描いた1パーセントの人ではなくて、歴史は実際に生きた99パーセントの人に焦点をあてるほうが重要だと思います。文学や小説というのは少なくとも物語を書けるという意味で書く側の1パーセントの人たちだと思います。そこで描かれているのは実際に生きた王様だったり、女王様だったりと生きている人たちだと思うんですね。この作品の考え方、アイディアとかDNAとしてはいわゆるフィクションのストーリーをたくさん読むのではなくていろいろなリサーチをする。いろいろな歌を聴いたりというところに力を入れています。
  実際子供と交換するときに家がいくらぐらいするのか、どういった取引がなされていたのか、保険代いくらぐらいなのかというリサーチをしました。そしてそれ以外の感情的な要素をリサーチをする方法としては歌があるので、その歌の調査もしました。例えば若者がよく好んで歌っていた歌の中には心をどうするとか、気持ちをどうするかと考える前に、お腹が空だとどうしようもないよねみたいな歌があるんです。それは大人が歌っているのではなくて子供たちが歌っている歌、お腹がすいてちゃどうしようもないじゃないかという歌があります。今だとどうしても心を重要視しがちというか、心、愛を欲しがる傾向っていうのがあるんですが、当時は心よりもまずはお腹を満たすことが重要だった。また教会に行くということも心を支える上では重要な部分だったんですけれど、そういった中で家族という事の構成要素というのはどういうものだったのかということを考えたときに、お腹が満たされてないと心が満たされたところで生きていけないので、多分最後にシーネがお父さんに対してありがとうっていうのですが、それは恐らくそういうこと、自分を生かしてくれて、自分たちは選ぶことが出来なかった、自分はお腹を満たすためにしょうがないから結婚したけれど、結婚することによって自分の人生を永らえることができて、自分の子供たちにチャンスを与えることができてお父さんありがとう、っていう風に言ったのではないのかと思います。

 

✳︎鑑賞した回に行われたQ&Aの日本語訳を書き起こして、一部編集したものになります。

 

以下のリンクは、東京国際映画祭で行われたインタビューとプレス向けQ&A 、別日の上映後Q&Aです。

インタビュー

 

プレス向けQ&A 


上映後Q&A (上記とは別日)

 

 

 

 

 

演出についての雑記

 

以下は、演出についてとめどなく書いていきます。

 

・シーナがイェンスに「ありがとう」と言った時、強制的な結婚や火災への疑念は、もはやシーナの中にはない。恐ろしい事だと思いました。

 

・物語の軸としては、かなりシンプルだと思うのですが、細かいところの演出、例えばカビたパンの内側だけ食べるとか、人を見定める時に「歯を見せろ」と言うなどによって、人物の置かれた状況やひどさを視覚的に見せる事で、物語に厚みが出ていると思います。

 

・愛牛はイェンス自身と、重ねられていたと思います。新しい場所に来て思い通りに動けない様を、大量の牛の中に愛牛がいる事で表したり、上手いなぁと思います。

 

 

・シーナがスウェーデン人と結婚する事になり、召使いに結ってもらった髪型がとても素敵でした。

 

 

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以上、『氷の季節』感想でした。ありがとうございました。